自分を変えていただきなさい2
ローマ人への手紙 12章2節 (新改訳2017)
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えて変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 ローマ12:2(新改訳3版)
イエス様を信じる信仰によって罪赦され、神の子とされ、祝福を受ける存在となりました。とても素晴らしい恵みです。この恵みを受取った後、形式的に礼拝と祈りを行っているだけで教会を出れば未信者と何も変わらない生活、聖霊様(イエス様)に無関心な生活を送ってしまう事があります。聖霊様はいつも私達と共にいて養育係として霊的成長を助けてくださろうとしています。又、最善(best)の道へと導こうとされています。しかし、”成長したい”と願わなかったら、聖霊様の言われる事に耳を傾けなかったら、何も変わりません。最善の道を歩めません。聖霊様を悲しませる事になります。
1.霊的成長
霊的成長とは何でしょうか?罪は赦されたと言っても、罪無き者と認められている(聖霊によって証印を押されている)だけで、罪の性質はあるのです。この罪ある性質を神様の願われる姿(イエス様の似姿)へと変わって行く事です。エペソ人への手紙に具体的に書かれています。
4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 エペソ4:22~32
偽りを捨てて、隣人に対して真実を語る。怒って罪を犯さないで赦す。盗まないで困っている人に施しをする。悪口を言わないで、人の徳を養うのに役立つ言葉を話す。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどの悪意でなく、お互いに親切にし、心優しくし、赦し合うようにと書かれています。
どうしたら変わるのでしょうか?人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎすてて、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された新しい人を着なさい。と教えています。ヨハネの福音書15章には
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
イエス様中心の生活の中で御霊の実を結び、キリストの似姿に変えられていくのです。しかし変わろうと思わなかったら、何も変わりません。”よくなりたい”と思わなかったら良くなりません。
「心を新たにすることで、自分を変えて変えていただきなさい。」”心”はヌース思考、頭脳 英語のmindです。”造り変えられる”はメタモルフォーと言いますが、罪の性質を持っている姿は言わば霊的病気状態です。病人が”よくなりたい”と願い病院へ行く様に、聖霊様に”よくなりたいので助けて下さい”と願い、治していただけば良いのです(変えていただけば良いのです)。
心:nou/j(ヌース)思考、頭脳 mind 造り変えられる:metamorfo,w(メタモルフォー)
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 Ⅱコリント3:18
医者であるイエス様が私達に”よくなりたいか”と言われています。その問いかけに対して”はい良くなりたいです”と答え、謙遜に言われた通りの薬を飲み、言われた通りのリハビリをしていけば治っていきます。しかし、医者であるイエス様の言われる事に耳を傾けないで、自分中心に生活していくなら、いつまでたっても、良くならず、最善の道を歩む事は出来ません。
聖霊様はきずきを与えてくださいます。
私は以前、腹を立ててばかりいた事がありました。そんなある日、マタイ5章22節
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
と言う御言葉から聖霊様に示されました。涙を流し祈りました。
2.目的
変えられて行く目的は何でしょうか?ヨハネの福音書15章8節には
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 ヨハネ15:8
と書かれています。エペソ4章25節には
私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。 エペソ4:25
と書かれています。つまりキリストの体の一部分となり、キリストの弟子となって福音を伝えて行く事ではないでしょうか?
「心を新たにする事で変えていただきなさい。」自分が如何に罪深い人間であるかを知り聖霊様によって変えて頂かなくては変わりません。自分を無(空っぽ)にし、謙遜に主に委ね、主に愛を願い求める必要があります。「愛を追い求めなさい」Ⅰコリント14:1この愛は御霊の実であり、聖霊様から与えられる賜物であり、着るものです。「あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣(愛)を買いなさい。」黙示3:18聖霊様との交わりを持ち、きずきを与えられ、柔和に受け止めて、日々変えられてまいりましょう。
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