神を愛するとは
マタイの福音書 22章37節~39節
イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
ヨハネの手紙 第一 5章3節
神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。
ヨハネの手紙 第一 4章20節、21節
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。
石の様に堅い罪の心から解放されて行くにつれ、キリストの弟子としてどの様に成長していくのでしょうか?その課程について学びましょう。
1. 神様に対する情熱
「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」とはいったい如何いう事でしょう。神様に対し情熱を持って接すると言うことです。
私は以前パソコンに情熱を抱いていました。パソコンに関する様々な情報を集め、各々の部品にこだわり、自分の思いどうりのスペックで製作の依頼をしました。新しいOSが発売されるとすぐに欲しくなり、新たに製作を依頼していました。その為に多くの時間、お金、あらゆるものを注込みました。人は皆、骨董品集め、切手集め、旅行、パチンコ、競馬様々なものに情熱を注ぎ、時間、お金等費やします。恋人がいれば恋人の為に情熱を注ぎ込みます。
神様は私たち人類の為に天地万物全てを造られ整えられました。太陽、月、星、動物、植物等全てです。準備が整った後、人を造られ、すべての生き物を支配させ、全ての生き物に名前をつけさせました。労苦せずに食物を得る事だ出来るようにして下さいました。人が罪を犯すと一人子イエス・キリストの命を持って救いの道を用意されました。神はこれ程に情熱を持って人を愛されています。私たちは石の様に堅い罪の心から解放されて行くにつれ、神に対する情熱が大きくなっていきます。
2. 神に従う
「神の命令を守ること、それが神を愛する事です。神の命令は重荷とはなりません」 Ⅰヨハネ5:3
教会の奉仕を沢山しているから、毎週礼拝に出席していても、多くの献金をしていても、多くの奉仕をしていても、義務的に行っていては重荷になってしまいます。神に対する情熱が大きくなってくると、重荷とはならず、従う事が楽に出来る様になります。
私は短期宣教へ行く事を示され、足の状態が悪くても従いましたが、苦にはならず、かえって守られ祝福を受け帰って来れました。
3. 兄弟姉妹を愛する
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 Ⅰヨハネ4:20、21
神を愛すると言いながら、兄弟姉妹をさばいているならその人は偽り者であると言われます。
私たちは弱い者で自分の事は差し置いて、兄弟姉妹の事を裁きがちです。律法学者とパリサイ人は姦淫の場で捕らえた女の人をイエス様のもとに連れて来て裁こうとしましたが、イエス様は赦されました。ヨハネ8:3~11 イエス様が家に入って来た時マルタは妹マリヤをさばきました。ルカ10:38~42 ひとりの女が高価な香油をイエス様の頭に注いだ時、弟子達は裁きました。マタイ26:7~13 教会の中では兄弟姉妹を愛している様でも、家に帰ると変貌してしまいがちですが、さらに変えられると、兄弟姉妹を愛する者へと変えられて行きます。
私は石の様に堅い罪の心から解放されて行く中で、愛の心が湧いて来るのを体験させて頂きました。短期宣教から帰る途中、不思議と妻に対する気持ちが湧いて来て、涙が止まらない体験をさせて頂きました。
4.
隣人を愛する
「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」 マタイ22:39
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」 ヨハネ13:35
イエス様は律法学者によって、さげすまれても、のけ者にされても、その者たちを愛されました。(敵をも愛されました)イザヤ53章 イエス様は私たちの救いの為にご自分の命をささげて下さいました。他人の為に命を犠牲にする愛は難しいけれど、さらに変えられていくと、隣人を愛する事が出来る様に変えられていきます。
イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。 ルカ10:30~37
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。 Ⅰコリント13:4~7
神を愛するとは、神に情熱を抱き、神に従い、兄弟姉妹を愛し、隣人を愛する事です。この様になる為には、最初に、石の様に堅い罪の心を取り除いて頂く必要があります。次に聖霊様によって愛(見返りを求めない愛)を与えられ、力を受けてキリストの弟子として成長し、御国を拡大して行く者へと変えられて行くのです。