人を愛するとは
人を愛するとは如何いう事でしょうか?親が子供を愛する愛、兄弟愛、友情、男女間の性的愛、様々にありますが、聖書で出て来る愛の中で無条件の愛(見返りを求めない愛)についてま学んでまいりましょう。この愛をギリシャ語ではアガペーと言います。
1. 見返りを求めないで与える、気遣う
善きサマリア人のたとえ話し
イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚(約7000円)を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」 ルカの福音書10章30節~36節
このたとえ話の中で、追いはぎに襲われた人と何の関わりも無いにも関わらず、サマリア人は無条件で助けました。何をしたのでしょうか?
①
傷口にぶどう酒を注ぎました。
古代ギリシャではぶどう酒は消毒と洗浄の為に使われていました。
②
傷口にオリーブ油を注ぎました。
古代ギリシャではオリーブ油を痛みを和らげるたり、治るのを助けたりする為に使用していました。(治療)
③
傷口に包帯をしました。
傷口を覆い外部からの汚れを防ぎました。
④
自分の家畜に乗せました。
⑤
宿屋に連れて行きました。
⑥
介抱しました。
⑦
宿屋代を宿屋の主人に渡しました。
⑧
宿屋の主人に介抱をお願いした。
人を愛するとは与える事です。善きサマリア人は強盗に襲われた人の傷口を消毒し、治療し、包帯をし、介護した行為は医療行為であり、専門的な知識が無ければ出来ませんが、自分の持っている知識・技能を相手の為に使いました。自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行きましたが、家畜に乗せる為には自分の荷物を降ろさなければならないのではないでしょうか。乗せる為には体を使います。宿代を支払いました。見知らぬ人の為に何を与えたのでしょうか?知識、技能、体、お金、時間等多くのものを与えました。それも見返りはありません。無条件で与えました。
2. 赦す
放蕩息子のたとえ話し
イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。 ルカの福音書15章11節~24節
放蕩息子は父から相続財産をもらい快楽にふけり、財産を浪費して暮らしました。ついにすべての財産を使い果たし、我に返って父のもとに帰りました。詳しく見てまいりましょう。
①
父に相続財産をもらう。
②
遠い国に出かける。
③
放蕩して財産を湯水のように使い果たす。
罪を犯す
④
激しい飢饉が起こる。
⑤
飢え死にしそうになる。
⑥
我に返る。
自分のしてきた事を反省する。(悔い改め)
⑦
父のもとに帰る
⑧
父が駆け寄って来た。
通常父から駆け寄ることはなく、立場を超えている。
⑨
父から涙を流しながら首を抱きしめられ、口づけされる。(叱られなかった)
ハグよりももっと深い愛情の表現で、無条件の受容・赦し・関係回復の意味があります。
謝る前に受け入れられた。
⑩
お父さんに謝る
⑪
一番良い服を与えられる。
家族の一員であると言う意味。(貧民ならボロ布)
⑫
指輪を与えられる。
家の権威を持つ者と言う意味。(奴隷には絶対に与えられない)
⑬
履物を与えられる。
息子であり自由人であると言う意味。(奴隷は裸足が普通)
⑭
宴会をしてくれた。(宴会は村や周辺の人々も参加する社会的出来事)
家族の一員として正式に戻った事を意味します。
人を愛するとは赦すことです。放蕩息子のお父さんは息子が何をして生活していたのか知っていましたが、叱らずに、抱きしめ、服を与え、指輪を与え、履物を与え、宴会を開きました。非常に寛大な赦しです。この様な無条件の赦しで人を愛する事です。
3. 神の愛
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:16
イエス様はご自分のいのちを人類の罪の代価として献げられました。それはイエス様を信じる者が罪を赦されるためでした。私たち人類の為にいのちを与え、罪を赦して下さったのです。
4. 人を愛するには
自分の努力で人を無条件の愛で愛する事は出来ません。自分の努力で愛する事は出来ますが、重荷となってしまいますし、自分の自慢になってしまいます。(私は〇〇さんを愛してあげた)人を無条件の愛で愛するには、汚れた心を取り除いてもらい、与えられている技能を用い、着せてもらう無条件の愛によって喜びをもって人を愛するのです。(愛する事は重荷とはなりません)
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。 エペソ5:25
妻に対する怒りを抱いていた私はこの御言葉に従う事は自分の努力では無理でした。どうしてもすぐに怒りが湧いて来るのですから。しかし、汚れた心を取り除いて頂いてから、妻を愛する事が出来る様になって来ました。
私たちはイエス様に倣って与えられたすべての知識・技能・体・お金・時間を隣人の為に与え、相手が自分に犯した罪を無条件の愛(見返りを求めない愛)で愛しましょう。