良くなりたいか
ヨハネの福音書5章1節~9節
その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。
ローマ人への手紙7章15節~24節
私は自分が全くわかりません。
ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。 反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。自分の行ないが誤りであること、破っているおきてそのものは良いものであること、それは、よくわかっています。しかし、どうにもできません。
それをしているのは、もはや私ではないからです。 悪を行なわせるのは、私のうちに住みついている、私より強力な罪なのです。古い罪の性質に関する限り、私は自分が全く腐敗しきっていることを知っています。
どんなにもがいても、自分で自分に、正しいことを行なわせることができません。 そうしたいのですが、できないのです。良いことをしたいと思ってもできず、悪いことをしないようにと努めても、どうしてもやめられません。自分ではしたくないことをしているとすれば、問題点は明らかです。
すなわち、罪がなおも私をしっかり捕らえているのです。正しいことをしたいと思っているのに、どうしても悪いことをしてしまう、これが人生の現実であるように思えます。新しい性質をいただいた私としては、神様の意志どおり行ないたいのです。ところが、心の奥深くに潜む低劣な性質には、何か別のものがあって、それが私の心に戦いをいどみます。
そして、ついに私を打ち負かし、いまだに私のうちに住みついている罪の奴隷にしてしまうのです。私は、心では、喜んで神様に従う召使でありたいと願いながら、実際には、相変わらず罪の奴隷となっている自分に気づくのです。これで、私の実情がおわかりいただけたでしょう。すなわち、新しいいのちは、「正しいことをせよ」と命じているのに、いまだに住みついている古い性質が、罪を犯したがるのです。ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。 リビングバイブル訳
使徒パウロはローマ人への手紙の中で自分の中に二つの心がありそれによりもがいている姿を記しています。一つ目の心は悪を行わせる心(古い罪の性質)であり、二つ目の心は良い事をしたいと思う心(新しい性質)です。悪いことをしないように努力してもやめられず、正しいことをしようと思っていても悪い事をしてしまう自分に気づき、もがいています。
私たちもその様なことはありませんか?赦さなければいけないと思っても怒ってしまう。愛さなければいけないと思っても憎んでしまう。優しい言葉を言おうと思っていても悪口を言って人を傷つけてしまう。全ての過ちは赦されていると言われているのに自分を責めて苦しんでいる。感謝しようと思っても愚痴が出てしまう。神を信頼しようと思っても心配したり不安になる。等ないでしょうか?
チャールズ・スポルジョンは、罪に捕らわれている状態を次のように語っています。「皆さんは、罪の牢屋に閉じ込められています。自分では、そこから抜け出すことができません。鉄格子をつかんで左右に揺さぶってみても、それは固定され、外すことができないのです。しかし、ここに一つの手があります。その手は、その鉄格子を外すことができ、その手はあなたを解放します。その手とは、私たちの救い主なるイエス・キリストの御手です。この方によってのみ、私たちは自由を得ることができるのです。」
ベタスダの池で癒された人の話ですが、エルサレムの大きな祭りの日でしたから、健やかな人は神の宮に上り礼拝していました。けれどもベテスダの池の回廊に病により大勢の人が横になっていました。その中に38年のあいだ苦しんでいる人がいました。その人にイエス様が「良くなりたいか」と言われました。すると良くなりたいけれども誰も助けてくれない事を言いました。それを聞くとイエス様は癒し、その人に「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じられました。
38年のあいだ苦しむ程の難しい病気であってもイエス様は癒すことが出来ます。イエス様は十字架の死と甦りによって悪魔に打ち勝ちました。ですから皆さんの心の中の悪に対しても既に打ち勝っておられます。心を癒やして下さいます。
主は私たちに「良くなりたいか」と今言われています。私たちはどこを良くされることを願いますか?心の苦しみという病ですか?主はそれを癒やしてくださいます。人に打ち明けられない心の痛みですか?主はそれを癒やしてくださいます。誇り、欲など心の中に残っていることを癒されたいと願いますか?主はそれを癒やしてくださいます。
「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じられたのは「潔くなりなさい」と言う意味です。「汚れた心から解放されて自由になりなさい」と言う意味です。汚れた心(罪を犯す心)から解放し自由を与えたので「もう罪を犯してはなりません」と言われました。(ヨハネ5:14)
主は癒し主です。しかし、癒されたいと願う熱い思いと、癒されるという信仰がなければなりません。主は皆さんを今、癒したい、悪から解放したい、自由にしたいと願われています。悪いことを行わせようとする心(古い罪の性質)と良いこと行いたいと思う心の葛藤の中でいつまでも生活するのは止めて、良いことを行いたいと思う心(聖霊様から与えて頂く新しい性質)のまま自由に生活してまいりましょう!!
いったいだれが、このひどい低劣な性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。
ただ神様に感謝します! 主イエス・キリストによって、私は解放されました。この方が自由の身にしてくださったのです。 ローマ7:24、25 リビングバイブル訳
あなたがたは真理を知り、真理(イエス様)はあなたがたを自由にします。 ヨハネ8:32
