主イエス・キリストの教会 伊那エクレシア


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メッセージ 2023.3.26

信仰の道を歩む

詩篇37章5節

 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

ヨハネの福音書14章6節

 わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

 人生には二つの道があります。主が示される道と自分の思いと考えで決める道です。主を知らないでいた時の人生の道は自分の判断で決めて歩む事しか出来ませんでした。罪の性質を持って生れた者であり、神から離れた道ですから失敗をするし、罪を犯してしまいます。しかしながら主を知り神の子となった私達は主の用意された祝福の道、恵みの道を歩む事が出来、主に守られ平安と喜びの人生、愛ある人生を送れる環境の中にあります。環境は既に整っていますが、神は私達に選択の自由を与えられています。自分の決めた道を歩むのか、主が準備されている最善の道を歩むのかは、私達の自由選択です。あなたはどちらの道を選択しますか?主を信頼し主に委ね(信仰)た道を歩みませんか?聖書の中に様々な人物の歩みが記載されています。この中から学んでまいりましょう。

1. ダビデの人生

 ダビデがゴリヤテと戦って勝利した話しは有名です。身長3mもの巨体を10歳位の少年ダビデが勇敢に立ち向う思いになったのは何故ですか?主に対する信頼があったからです。3mもの巨体を見て逃げる道もありましたが、主の示す道を選びました。この時どの様な方法で勝利出来ましたか?石投げによってです。石投げによって放たれた石がゴリヤテの額に食い込み、ゴリヤテは倒れました。石投げですから的に命中させる事はとても難しい事です。主が戦って下さったのです。(サムエルⅠ17章)

 ダビデがペリシテ人との戦いにおいて勝利して来るたびに民に称賛される様子からサウル王は嫉妬からダビデに殺意を抱きます。逃げるダビデに何度かサウル王(敵)を殺せる機会が訪れますが殺しませんでした。何故でしょうか?自分の感情に従うなら、殺したでしょう。しかし、主に心を委ね、主に従ったので殺しませんでした。(サムエルⅠ24章、26章)

 ダビデは常に主に従って行動したのではなく、自分の感情に従って罪を犯した事もありました。王になってから、ある夕暮れ時、床から起き上がり、宮殿の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのを見て、人妻なのに欲しくなり、その人の夫が戦場で死ぬ様に仕掛け、奪い取ってしまいました。この事は自分の感情に従って行動したからです。主の道に歩まなかったのです。サウル王と違うのはダビデは自分の過ちを認め悔い改めたところにあります。(サムエルⅡ11章)

 ダビデは主の御声に従う時と、自分の感情に従う時と様々でした。あなたはどうでしょうか?時には主に従い、時には自分の感情に従っていませんか?常に主に従う者となりたいものです。

2. アダムとエバ

 神が天地創造を終えた後、アダムとエバに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない」と命じられました。悪魔がエバに誘惑した後、善悪の知識の実を見ると、「まことに食べるのに良く、目には慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましく思えた。」とあり、神の命令を守らず、自分の感情で行動してしまいました。ここにも二つの道の選択がありました。あなたはどの道を選んだでしょう?(創世記2章、3章)

3. カインとアベル

 二人はお互いに主への捧げ物をしましたが、主はカインとその捧げ物には目を留められませんでした。カインは何故自分の捧げ物に目を留めてもらえなかったのか主のみこころに目を向けず、自分の怒りに従ってアベルを殺してしまいました。(創世記4章)


 この様に私達の前には二つの道が存在します。主が準備されている、祝福と恵みに満ちた道と自分が定める道の二つです。愛なる神は生きておられます。我が子イエス様の命までも惜しまず与えてくださった神に信頼し、委ね主の道を歩んでまいりましょう。

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