神との交わりを通して成長する(実を結ぶ)
15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。15:2
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。15:4
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。15:6 わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。 ヨハネの福音書15章1節~9節
イエス・キリストを信じ受け入れた私たちは神の子供とされ神様からの大いなる恵みと祝福に預かる事の出来る身分にされました。ではこの恵みと祝福をどの様にすれば頂けるのでしょうか?それは神様との交わりの中で頂く事が出来ます。神様との交わりの中で恵みと祝福を体験しながら霊的成長して行きます。イエス様はこの事をぶどうの木と枝にたとえて話されましたが、実際にどの様な交わりがあるのでしょうか?
1. 賛美をする
賛美とは神様をほめたたえる事であり礼拝する事です。主の祈りでも“御名をあがめさせたまえ”と祈る様に教えています。賛美するだけでも、平安・喜び・元気が出てきます。
2. 聖書を読む(神様の声を聞き心に蓄える)
ぶどう等の作物は元肥を与え、成長と共に追肥をし、太陽の光を受けて育って行きますが、私たちの霊的成長には御言葉による神様の躾(肥料)・慰め・励まし(光)が必要です。
3. 必要を求め続ける
日々の必要を求めると共に、神様に願いを具体的に求める必要があります。神様は私たちに何が必要であるかはご存じですが、親が子供に必要な物は全て知っていても子供が求めてくるのを待っているのと同じく、神様は私たちが求め、頼ってくる事を待っています。但し何でも与えるかと言うとそうではありません。子供にとって不必要な物や、良くない物は与えないのと同様、神様も私たちにとって不必要な物、良くない物は与えません。また、直ぐに与えれれるとは限りません。その人にとってふさわしい時に与えて下さいます。また、具体的に求める必要があります。また、求めることを直ぐにあきらめてしまうのではなく求め続ける必要があります。
10:46さて、一行はエリコに着いた。そしてイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出て行かれると、ティマイの子のバルティマイという目の見えない物乞いが、道端に座っていた。10:47 彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び始めた。10:48 多くの人たちが彼を黙らせようとたしなめたが、「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ。10:49 イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。10:50 その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。10:51 イエスは彼に言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」すると、その目の見えない人は言った。「先生、目が見えるようにしてください。」10:52 そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。 マルコ10:46~52
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。 ヨハネ15:7
4. 心の癒し(治療)
私たちの心は様々な事によって支配されています。この支配から解放される必要があります。
①否定的感情
対人に対する怒り・受けた傷・悲しみ・失望・不信感・もやもや・憎しみ・もどかしさ・恐れ等です。 人から言われた一言、特に両親から言われた一言が心の傷として残ってしまっています“あなたは何も出来ないダメな人間だ”とか“お兄ちゃんは勉強出来るのにおまえは~”“〇〇さんは出来るのにあなたは~”と人との比較によって傷ついてしまいますし、絶望感を抱くか、憎しみを抱いていてしまいます。私は妻から“洗濯物干しておいてくれない”とか、食器洗っておいてくれない“等支配されている様でとても怒りを覚えていた事があります。
②物事への恐れ
将来への恐れ・経済的な恐れ・暗闇・幽霊・死・健康・しきたり・文化・伝統等です。“自分はこのままの生活で終わってしまうのだろうか?”とか“子供の将来はどうなるのだろう?”とか“物価高でこれからの生活がしていけるだろうか?”とか“病気になってしまうのでは”とか“災害に合わないか?”“~しなければならない”等様々な事に恐れを抱いてしまいます。
③罪悪感・無力感
過去に犯した悪い行動(人のものを盗む・不正行為等)、人を傷付けてしまった(悪口・見下げ・裁き・批判等)事で思い煩っていませんか?
“私は十分でない(愛されていない、価値が無い、役に立たない、重要でない)”“私は無力だ(私には出来ない不可能だ)”“絶望的だ(孤独だ、解決できない、何をしてもダメだ)”と無力感を抱いていませんか?これらは悪魔が与える偽りです。
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。 ヨハネ8:44
④悪魔との契約
10月31日の夜はハロウインですが、元々これはケルト人の魔術的な宗教行事(ドルイド教)であり、11月1日を新年と定めていてその前夜に死者の霊や悪霊の祭りをしていて、動物だけでなく人間も悪魔への生贄として虐殺される残酷な儀式から来ています。ハロウインを祝う事によって悪魔との契約が成立してしまっています。他にも、悪霊に関係する映画(エクソシスト・ハリーポッター等)を見る、占いをする事によっても悪魔からの悪い影響を受けてしまう人がいます。
これら様々な事を通して悪魔は私たちの心を支配しています。この支配から解放されなければなりません。イエス様は十字架の死と復活によって悪魔に打ち勝った方であり、悪魔の支配下であった私たちを買い戻してくださった(贖い)ので、この方によって解放して頂けるのです。ぶどうは余分な芽を取ったり、敵房したり、花切りしたり、摘粒したり、剪定したりして良い実がなる様にしますが、私たちも霊的成長にとって日々余分な部分の取り除きが必要なのです。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。 ヨハネ10:10
5. 体の癒し(治療)
イエス様は地上での生涯で多くの病人を治されました(目の見えない人の治し、足がなえた人の治し等)。イエス様が天に昇られた後は弟子達によって病人が治されました。今日でも多くの人の病気が治されています。私たちが求めれば病気は治して頂けるのです。 イザヤ53:4参照
6. 保護
ぶどう等の作物は消毒をする事によって害虫・悪い菌・病気から保護される事により良く育ちますが、悪魔(害虫)は私たちの霊的成長を妨げる働きをしてきます(私たちが持っている罪の性質を用いて罪への誘惑・災害等)が、神様はこの攻撃から私たちを守って下さいます。
7. 実を結ぶ
この様に神様との交わりを通して(とどまる事によって)霊的成長をして実を結んでいくのです。この実は愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制であり、聖霊様によって結んで行く実です。 ガラテヤ5:22,23参照
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。 ヨハネ15:4
イエス様の弟子として、神を愛し、隣人を愛する生活をし、神の国の生活をして行くのです。“神様、私は何をしましょうか?”“あなた(主)の指示に従います。”“今日出会う人に対して愛を示す事が出来る様に共にいて助けて下さい。”今日一日の必要を満たして下さい。“”今日一日悪から守って下さい。“と朝の祈りと、聖書を黙想し、一日を始め”生活の必要が与えられた事を感謝します。“”悪より守られた事を感謝します。“”犯してしまった罪を赦して下さい。”〇〇さんを祝福します。““〇〇さんが私にした罪(悪)を赦します。”“〇〇さんの願いを聞いて下さい。”と祈り一日を終える生活をし、実(愛・喜び・平安・・・・)を結んでまいりましょう。