主はぶどうの木 私は枝です
ヨハネの福音書15章1節~6節
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。
私は3、4年前(兄弟姉妹が少なくなり悩んでいたころ)“教会の本質とは何か”について学ぶ機会が与えられました。学ぶ中で様々な事に気付かされ、御国の価値観(本質)で歩んで行く事にしました。この教会の7つの本質(2000年に牧師のサミットで合意)について少し触れてまいりましょう。
7つの本質
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枯れる教会 |
聖書的な教会(本質の教会) |
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関係 (御国化) |
・心が解放されていない。 ・偽り者(仮面を被っている) ・愛し合う関係が無い。Ⅰヨハネ4:20 |
・神を愛する、自分を愛する、兄弟を愛する、隣人を愛する。 ・愛し合う関係がある。マタイ22:37~39 |
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参加 |
・教会のお客。(レストラン) ・牧師がお世話する。 (牧師依存型) |
・自分の役割を担う。(料理教室) ・主の御心に従順に従う。 (参加型) エペソ4:11~16 |
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能力付与 (弟子育成) |
・神と信徒の間に牧師が介入し、実を結ぶことが出来ない。 |
・神と信徒が直接交わり多くの実を結ぶ。 ヨハネ15:5、8 |
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イエス中心 |
・教え中心。 (み言葉を頭で理解するのみ) |
・イエス中心。 (み言葉を蓄え思い巡らし生活) |
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伝道と増殖 |
・日曜日のみクリスチャン。 ・集会に招くのみ。 |
・御国の生活。 ・弟子が弟子を生み出す。 |
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ネットワーク |
・他教会との協力関係が無く孤立した教会。(自分の教会に集中) |
・キリストの体の一部として、交わり、励まし合い、共に歩む。 (one body one church) |
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適応可能な構造 |
・形式に捕らわれ柔軟性が無い。 |
・聖霊様の働きやすい構造。 |
今日のみことばを黙想してまいりましょう。ぶどうの木はイエス様です。枝は私たちです。実は愛の実です。枝が地中から吸い上げる養分を得て果実を実らせます。イエス様にとどまっているならいのちを得、愛・喜び・平安・祝福の実を結びますが、イエス様にとどまっていなければ、汚れた性質のまま歩むため、憎しみ・悲しみ・不安・呪いの中で悪魔の実を結ぶので、火に投げ込まれてしまいます。枝が多くの実を結ぶために刈り込みをする様に、汚れた性質を取り去ってもらい、試練を与えられます。とどまるとは、みことばを蓄え、思い巡らし、聖霊様の助けを得てみことば(神を愛し、隣人を愛する)を守り行うことです。